月1回の連載でお届けしている暮らしの取捨選択、今回は文筆家の清田隆之さんにお話を伺いました。恋愛とジェンダーをメインテーマに掲げ、幅広く執筆活動を行う清田さん。さまざまな人と関わりを持つなかで生まれた取捨選択とは?
誰かと暮らすことで、大人になってから少しずつ生活スキルを身につけてきました
学生時代から女性の恋愛相談を多数受けていた清田さんは、友人とともに恋バナ収集ユニット「桃山商事」を結成。現在は個人名義でも執筆・講演などの活動を行っています。双子を育てるパパとしての顔も。
「東京生まれ、東京育ち。友人と長くルームシェアをして、その後結婚しました。実はひとり暮らしの経験がありません。実家はいつも散らかっていたし、共働きの自営業だったため親が毎日ごはんをつくって家族みんなで食べる、という習慣もなし。高校時代の友人とルームシェアしていた部屋も、なんというか部室みたいな感じで、『生活』をしてるって意識は希薄でした。家事は最低限で、寝に帰るだけの場所だったように思います」
そんな清田さんの暮らしに影響を与えた出来事が2つ。1つめは、ルームシェアが2人から3人になったことです。
「桃山商事のメンバーが新しくルームシェアに加わり、家事が当番制になったのです。彼は当たり前のように掃除をするタイプで、特に床を水拭きしている姿には衝撃を受けました。一方の自分はというと、部屋が散らかっていてもあまり苦にならず、掃除も整頓も必要に迫られるまでやらないようなタイプでした。でも、当番制になった以上は習慣化していく必要があります。もちろん、きれいで整っているほうが心地いいってことは頭では分かっている。それで当初は、ある種の“義務感”で家事をするようになったのです」
ていねいな暮らし、自然と共生する暮らしへの憧れはある。けれど、理想と現実の間で揺れ動いています
清田さんに影響を与えたもう1つの出来事は、石川県能登半島の文化を取材したこと。今から10年以上前で、ルームシェアの真っ最中のころでした。
「能登では、人々の暮らしと生き方が一体化しているように見えました。住む場所や生活の道具を自ら手入れし、季節の変化を肌で感じながら暮らしているというか。日々の移ろいを感じとるセンサーの感度が、都会育ちの私とは圧倒的に違っていました。この取材以降、暮らしというものが一体何なのかを考え始めたような気もします」
ルームシェア生活は何度かメンバーが変わりならが12年も続き、37歳のときに結婚。義務感や責任感から家事をするという思いは、今も心のどこかに持ち続けています。
「結婚したこと、そして双子育児とコロナ禍が同時にやってきたことなどにより、掃除や洗濯、料理に買い物といった諸々がより切実な問題になりました。家事に対する意識やスキルは昔に比べたら飛躍的に上がったと思います。でもそれは、ルームシェアや妻との暮らしを通じて後天的に学習したものという感じで…。今では毎日ごはんを作り、日々の育児も妻と力を合わせて頑張っているけれど、仕事が立て込んでしまうと元来の自分が幅を利かせてくる。『ごはんは外食やお総菜でいいじゃん』『買い物もネットで済ませて仕事を進めたい』とつい思ってしまうことも正直多いです」
能登の人たち、そして家事やインテリアに自分の物差しを持つ妻。
「自然と共生する暮らしは素敵だなと思うし、その世界に近づきたいと憧れる反面、今の自分には到底できないだろうなという諦めもあります。妻は家具や器を大事にする人で、好きなものに囲まれた心地よい暮らしを重視していますが、私は何かと効率に囚われてしまい、例えば本棚を選ぶにしても『何冊の本が収納できるか』『どれだけ省スペースになるか』とか、ついそういう発想をしてしまう。それに、妻は地方や海外への移住にも興味があるようです。子育てなども考えると彼女の言うことにも一理あるなと、頭では思うんです。でも自分がそういう暮らしをしているイメージがまだつかず…引き裂かれるような感覚があり、答えは簡単には出そうにありません」
心に余裕を持てない日々。ならば、暮らしの“解像度”を少し下げてもいいのかもしれない
一通り家事をこなせるようになっても、「自分自身の生活スタイルというものがない」と自覚している清田さん。情報に翻弄されることもしばしばで、SNSで見かけた整理収納方法、たとえばシンデレラフィットの収納を真似してみようと思うこともあるそうです。
「でも、結局はできない(笑)。例えば洋服の収納1つとっても、すべてがきれいに収まっている写真は確かに美しいけど、その状態を日常的に継続していくのってなかなか難しいはずですよね。きちんとたたんで仕分けするだけでなく、『長袖Tシャツはどのボックスだっけ?』『あのパンツはどこに入れてたっけ?』などと都度ジャッジが必要にもなりますよね。分類や判断に注ぐエネルギーもバカにならず、その余力は残念ながらありません。だったら、もう少し適当になってもいいんじゃないか。暮らしの解像度を下げることも大事なんじゃないかと思うのです」
洋服は洗濯ハンガーに干したままクローゼットに戻したっていい。たたむのは余裕のあるときだけ。下着はそのままボックスへ。隅々まで整っていなくても、キャパシティの範囲内で日常を回していかないとしんどくなると清田さんは言います。
「すでに仕事や育児で精一杯なのだから、全部ちゃんとやろうとしなくていい。できるところから、やれる範囲でやればそれで十分…というのが自分の考えです。でも、家事の意識やスキルって、向上させていくことはまだやりやすいけど、あえて適当にする、気になるけど目をつぶるって方向に変えていくのはなかなか難しい。『ちゃんとやらねば』という規範意識と、キャパシティの限界、この2つの板ばさみに悩んでいる人はたくさんいるんじゃないかと感じます」
週1回のサッカーは、仕事や暮らしのto doから解放される唯一の時間
自宅で主に執筆活動を行う清田さんにとって、オンとオフの境目はほとんどありません。「私の場合、育児も生活もすべて執筆仕事につながってきてしまうため、オン・オフという感覚が正直よくわかりません。常に何かに急き立てられ、ひたすらto doリストの消化に追われる毎日なのですが、週末のサッカーだけは別。草サッカーのチームに所属していて、週に1回は試合や練習に打ち込んでいます。その間、こどもたちの面倒を引き受けてくれている義母と妻には感謝の気持ちでいっぱいです」
ただでさえ手のかかる双子育児。それから離れて自分のためだけに半日を使うのは、一般的に考えるとあり得ないことだろうと清田さんは言います。実際、仕事と子育てで手一杯になり、サッカーを休んでいた時期も8ヶ月ほどあったとのこと。
「こどもの発熱や妻の体調不良は珍しくないことだし、今日はサッカーに行けるのか、行けないのかと直前まで決められない状況はチームメイトにも迷惑をかけてしまう。なので一時期はサッカーから離れていたし、その期間は確かに気もラクでした。でも、常に義務感や焦燥感に取り込まれる日々になってしまったのも事実で…。44歳という年齢を考えると、身体のコンディション的にサッカーを楽しめる時間は残り少ないはず。仕事や生活とはまったく違うモードになれるサッカーは、私にとって貴重な時間になっています」
子育てと仕事に依存しすぎるのは怖い。パターン化する日常に抗い続けたいと思っています
清田さんが今ぼんやり不安視しているのは、暮らしのパターン化。毎日同じ時間にごはんを食べ、こどもを保育園に送り、いつもと同じ道を通ってスーパーに行く。休日の過ごし方もだいたい同じ。
「パターン化することで暮らしは効率よく回ります。合理的かつ安定的ではあるのですが、それを極めた先に待っているのはなんなんだろう、と思うのです。いつもと違う店へ行く、違う道を通るなど、意識してその日常を変えていけばいいのですが、余裕がないとすぐ元に戻ってしまう。出来上がったパターンの外側に出ることは意外と難しいもの。これって仕事や子育ても同じだと思うんですよね。今は子育てにいっぱいいっぱいで、休日は家族で過ごすことが当たり前になっている。急に1人きりの時間ができたら何をしたらいいのかと戸惑い、『だったら仕事でもするか』となりがちです。今はともかく、あと数年でこどもも小学生になれば、友達や趣味のプライオリティが高くなるであろうことは自身の経験からも想像がつきます。そのとき自分はどうなるのか、ちょっと不安な部分もありまして…。仕事のto doに飲み込まれすぎず、こどもとの日々も楽しみつつ、自分の時間や友人と会う時間もできる範囲で大事にしていく。難しいことですが、そういう意識は持ち続けていきたいなと考えています」
今回教えてもらったのは……
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清田隆之さん
文筆業、桃山商事代表。ジェンダー、恋愛、人間関係、カルチャーなどをテーマに様々な媒体で執筆。朝日新聞be「悩みのるつぼ」では回答者を務める。著書に『さよなら、俺たち』『自慢話でも武勇伝でもない「一般男性」の話から見えた生きづらさと男らしさのこと』『おしゃべりから始める私たちのジェンダー入門』などがある。