芥川賞作家が快適な執筆環境を求め、理想の家を探す究極の買い物ドキュメント『羽田圭介、家を買う。』(集英社)。著者の羽田圭介さんに、家探しの経験談と暮らし方への考えを聞きました。
「羽田圭介、家を買う。」(集英社)あらすじ
「実労働だけじゃ無理だ」。株式、為替、CFDに不動産。あらゆる資産運用で「五億円」を作り出し、快適な執筆環境のための理想の家を手に入れたい。そう思い立った作家は、手を尽くして資金捻出を試みる。銀行融資の開拓や投資での失敗。様々な物件の内見に数々のトラブルも……。苦難と苦悩の家探しの末に、最高のマイホームにたどり着くことはできるのか?
ホテルの長期滞在と変わらない 羽田圭介の引っ越し観
―この本では、快適な執筆環境を求めての家探しが描かれますが、2015年に芥川賞を受賞された時は、どんな空間で執筆されていましたか。
会社員時代に買った2DKマンションの、北向きの窓に面した書斎で『スクラップ・アンド・ビルド』を書いていました。専業小説家になると言ったら、母に「会社員のうちにローンを組んで買っておきなさい」と勧められて買ったんですよ。『スクラップ〜』を書き終わった後、分譲マンションを売却して渋谷区の狭い賃貸マンションに引っ越して。24平米という人生初の狭さに、あれは本当に後悔しましたね。天井が低いってこんなにしんどいのかと。比較的大柄な男性にとっては、立ち上がるともう天井で、ソ連で赤化洗脳するときの拷問部屋かという。
―圧迫感が伝わります(笑)。本の中では11件の「居住記録」が紹介されていて、つまりそれだけ引っ越しもされているということ。引っ越しの良さは何でしょうか?
単純に場所が変わったら気分も変わりますよね。とくに短編小説は、どこに住んでいるかに影響されていたりする。テーマに縛りがあることが多いので、その分ほかのことは油断して実生活から流用しがちで。数ヶ月前に出た初の短編集『バックミラー』(河出書房新社)では、ここ10数年に住んだ環境がどんなものか丸分かりです(笑)。
まあ、ネタのために引っ越ししているわけではなく、その時々で必然性があって。そして新しい街を開拓するのは、ゼロから知るという楽しみがあって楽しい。
―引っ越しには結構お金がかかりますが、それは気にならないですか?
あまりにも短期間で引っ越せばお金の無駄かもしれませんけど、1〜2年住むなら、長めの旅行という感じですかね。ホテルに長期滞在するのも、家を買うのも借りるのも、あまり変わらない気も割としていて。
ホテル滞在より遥かに安く済みますし、ましてや今はインフレがひどいから、人気のエリアで良い家を買ったら売却時にむしろお金が戻ってくる可能性も。そんなことを考えたら、ハードルは高くない感じがしますね。
10年前の住宅購入の常識が今は…先は分からないという「謙虚さが必要」
―家という大きな買い物を前に人間はいろいろ考えるもので、この本でも考えの逡巡は読み応えがありました。時には「身軽になるとは、マンションを1棟買うことだ」と思わぬ方向に展開したり。
考えているうちに「概念としての身軽」にたどり着くわけです。モノが少ないのが身軽かというとそうでもなくて、それはつまり経済的に身軽ということでは?となり、それなら1棟RCマンションを買ってその1部屋にオーナーとして住むのが、家賃を稼がなくていいので一番身軽だ、という結論に至って(笑)。
でもそれはやはり身軽とは違うのではと、堂々巡りになる。この本でも同じようなことを何回も考えているんですよね。
―株式、CFD、不動産など、理想の家を得るため実労働以外の収入に頼る必要性も感じたという羽田さん。確定拠出年金をきっかけとして元々資産運用をされていたとのことですが、資産運用をしていなければ、家を持つことへの考え方は変わっていたと思いますか?
ほとんど手入れせず放置したままというような運用が中心でしたが、それをやっていなければ、むしろ「家賃を払うぐらいなら」と早めに家を買っていたと思います。投資思考の人間は、資産はなるべく多く運用しておいたほうがいいから、高い頭金を払うぐらいなら運用して利益を出しつつ、賃貸に住む方が得なんじゃないかという発想になる。だから家を買う発想からは遠ざかるのかなという気はします。
今になって視野が狭かったなと思ったのは、ここ10年を振り返れば、新築マンションを買っていた方が得といえば得なんですよ。でも十数年前は、新築マンションはデベロッパーの利益が上乗せされているから買った瞬間に価格は落ちる、という考え方が当たり前でした。それが今や、新築の時の倍、場所によっては3倍になっている。
―10年前に買っておけば利益が出ていたかも…。
芥川賞でまとまったお金が入った時に買っておけば、下手に流動性資産として運用するより儲かっていたな、というのはありますね(笑)。ただ、それは振り返って初めて分かることで、その最中にいると未来はわからず、視野は狭くなる。だからこれからも同じように、今は正解に思えても振り返れば間違っていることもあると思うんです。人は結局、未来を見通すことはできないという謙虚さが必要ですね。
執筆に理想的な空間とは
―現在は新しいお住まいになり、執筆に理想的な空間は手に入りましたか?
まあ、そうですね。際限なく欲望を言えば、もっと広い方がいいとか読書部屋だけ別で欲しいとか色々ありますが、概ね満足です。家にばかりこだわっても、それに見合うような小説が書けなかったらダサいので(笑)。
それに、じゃあ執筆環境によって仕事の精度が変わるかと言うと、どこに住んでいてもあまり変わらないといえば変わらない。結局、モードに入っちゃえばどこでも関係ないんですよね。考えの枝葉を伸ばして思索する時は、リラックスできる空間の方がいい気も少ししますが、気がするだけかもしれません(笑)。
―確かにこれまでもずっと、コンスタントに作品を発表されていますし、集中すればどこでもいいというのはおっしゃる通りです。部屋作りではインテリアにもこだわりますか?
大学時代に初めて一人暮らしをした時なんかは、すべてが白い空間に憧れて、自分で木の板を買ってペンキを塗ったりしていましたね(笑)。今思えば、それはそれでダサいんですけど、楽しかったですね。まず、実家というものすごく散らかったところから抜け出すだけでもう、いいんですよね。変な古いコンピューターとか父親のゴルフバッグとかがないだけで。
―確かに!数年前にご結婚され、家づくりやモノとの付き合い方は変わりましたか?
ホテルライクなインテリアが好きなので空間的なかっこよさを求めるというのはあるのですが、今は共同生活なので、実用性重視なところもありますね。それでも客人を招くと、モノが少ないとか、なんでこんなに生活感がないのか、とか言われるので、自分ではだいぶ変わったつもりでも周りからしたらあまり変わっていないのかもしれません。
―小説『滅私』(新潮社)の主人公のように、羽田さんにもミニマリスト的な傾向が?
いや、本は多いし、引っ越しでは大型トラック2台は使うので、ミニマリストではないと思うんですけど。まあ目に見えるところに細々とモノは置かないですね。割と整理整頓が好きで。
―引っ越したら段ボールもすぐ開けるそうですね。
はい、せっかちなので。2〜3日目にはもう段ボールはない状態ですから。
―もう引っ越しのプロですね。
プロはそんなに引っ越さないと思います(笑)。
羽田圭介、整理整頓を語る。
―夫は整理整頓が得意、妻は苦手で(またはその逆で)けんかになるというケースをよく聞きますが、羽田さんご夫婦はどうですか。
妻は料理が上手なんです。僕も独身時代から自炊をしていたので一通りのことはできるのですが、自分よりはるかに上手い人がいるためか今ではほとんど料理しなくなりました。一方で掃除や片付けを全部僕がやっていますね。
妻も散らかす方ではないのですが、理解できないことはある。例えば、リビングの二口のコンセントに、スマートスピーカーと蚊取り線香を付けているんですが、妻は毎回、どちらかを外してスマホの充電器を差すんです。で、スマートスピーカーや蚊取り線香を使いたい時にどちらかが外れているという。ついに先日根負けして、僕が3口の電源タップを買って差しちゃいました(笑)。
―(笑)。
僕は面倒ごとを繰り返したくなく、割とシステマチックに考えるタイプで。収納のことでいうと、たとえば中途半端な高さの棚をホームセンターで場当たり的に買ってくるのではなく、壁全部埋めちゃった方が収納効率がいいし圧迫感もなくなるし、むしろ幾何学的でおしゃれな収納になる…と、収納は天井まで伸ばすことを考えがちです。
実家等、人の家に行ったりすると、中途半端な収納がいっぱいあるじゃないですか。もう、このカラーボックスいらないだろうって。しかも収納容量の少ない異なるメーカー同士の収納をいくつも横に並べたりして、だったらでかいのをドーンと1個買っとけば収まるのに…って、歯痒く思います(笑)。
―整理収納の上級者ですね(笑)。自宅で仕事をしている時、散らかっているのが気になって片付け始めちゃったりすることはないですか。
そもそもそんなに散らからないですね。
―すごい、収納システムができているんですね。
病気になってから病院に行くんじゃなくて、予防医療みたいな感じです(笑)。
不動産価格高騰の今、家を買うべきなのか?
―現在、家探しや住宅環境の改善に努めている人に向けて、アドバイスがあればお願いします。
別にないです。
―(笑)。
強いて言えば、職場と家は遠すぎない方がいいと思います。賃貸でも持ち家でも関係なく。
―その理由は?
家の価格や家賃の低い郊外から都心部なんかの職場に通勤している人は、お金は節約できても、時間と体力を奪われていると感じるんです。仕事や私生活で悩みがあっても、余力を残した状態で落ち着いて考えれば解決策が見えてくることもありますよね。
単純に、睡眠時間や体力を奪われたりすると、それが難しくなると思います。判断を下す脳が疲れて冷静じゃない状態っていうか。
なるべく職住接近で暮らして、空いた自由な時間を仕事なり私生活なりに使った方がいいんじゃないかと。考える時間や体力を奪われると、態勢を立て直す準備すらする気になれなくなる。
だから土地代や家賃を安くするために、片道2時間近く電車に乗るとかは、他の方法を考えてみては?と思いますね。それは自分も同じで、時間を取られると何にもできないですから。
―羽田さんが家探しをしていた頃から継続して、不動産価格はどんどん高騰しています。どう思いますか。
それはもう仕事を頑張るしかない(笑)。でも、周りに急かされて購入を焦らなくてもいいのではという気もしますね。
高騰と言っても、購入を考えている人は働いている人が多いし、収入もインフレに連動して上がっていくでしょう。また、都心の一部は値上がりがひどいですが、日本全体でいうとこれから人口は減りますし、大人気のエリアを除けば、予算内の物件もまだまだあると思います。
僕にとって引っ越しは気軽なものですが、みんながそうだとは思いません。生活がどう変わるか分からないのに、家を買って身動きが取れなくなっても困る。賃貸という選択肢は相変わらず身近なものですし、今は資産運用もいろいろとやりようがある。
そう考えていくと、頭金を積んで今、買うべきなのかは分からない。一部のメディアに踊らされて「家を買わなくては」と焦らなくてもいいのではと思ったりしますね。
お金に換算できないものもあると思うんですよ。20代、30代のうちは、その時楽しいことをやっていた方が後悔も少ない。
まあそれでも家が欲しかったら、仕事を頑張るしかないですね(笑)
書籍情報
羽田圭介、家を買う。
羽田圭介 著
集英社
https://www.shueisha.co.jp/books/items/contents.html?isbn=978-4-08-790179-5