前々オーナーが残した夥しい量の荷物。別荘を自分たちのカラーに染める前に、まずやらねばならないことは、不要なモノの撤去と大掃除でした。

N・Y

N・Y

東京郊外の一軒家で、3人家族+柴犬(3歳)と暮らす、恐妻家のお気楽会社員(53)。30年以上続けるアマチュアJAZZバンドでは、ギターを担当。ジャズ雑誌などで評論記事を執筆。暮らし系のエッセイは初挑戦。コスパよく別荘生活するコツを、あまり堅苦しくなく、お伝えできたらと思います。

物量の多さに怖気付く

妻の一言で、別荘オーナーとなったわが家。初見のその日は、家の中をチェックして、荷物を確認したら、鍵をもらって、帰りました。一晩くらい泊まってみても…と思っていたのですが、「大掃除をしないと泊まれる状態じゃない」と妻。
写真や動画をたくさん撮ったつもりでしたが、気持ちが舞い上がっていたのか、帰宅して確認して見ると、あまり撮れていませんでした。

息子が、「どうだった?」と嬉しそうに聞いてきます。
「うーん。ふつうに過ごせるようになるまでには、ちょっと道のりが長いかも知れない」。私はそう答えました。小部屋の中に詰まっていた荷物や、布団、シーツ類の多さに、気圧されてしまったのです。写真を見た息子も、「え」と固まってしまいました。

ところが妻は、平気です。
「何を怖気付いてるの。捨てるだけなんだから。2日もあれば、なんとかなるわ。今度は、家族全員で行って、大掃除。そしたらすぐ泊まれるようになるはず」
一度決めたら、女性は肝が据わるものです。
妻は大体の荷物量を把握し、何を捨てて、どの部屋をどう使うかなど、ある程度想像しているようでした。

もう一度一人暮らしをするような、はたまた新婚生活のようなワクワク感

翌週、私と妻は、家電量販店とホームセンターへ向かいました。
必要最低限の家電と、生活雑貨を購入するためです。
信州の家に置いてあった掃除機は、とても古くて、使えそうにありませんでした。また、冷蔵庫、洗濯機も壊れていました。

「モノをあまり置かないし、毎日いるわけじゃないから、コードレスじゃなくていい。それよりも吸引力!」
妻が選んだのは、昔ながらのコード付き掃除機です。

冷蔵庫は、昔私が学生時代に使っていたサンヨーのit’sシリーズ(懐かしい)のような、2ドアの小さいタイプ。
家電選びは、楽しいもの。なんだかもう一度、一人暮らしをするような、または新婚生活が戻ってきたような、ワクワクした気持ちになります。
ホームセンターでは、雑貨や調理道具、寝具などを購入しました。

翌々週、2泊する予定で、今度は息子も連れて、早朝から信州へ。
もちろん、愛犬のゴン太も一緒です。購入した家電、雑貨、掃除道具をクルマいっぱいに詰め込んで向かいました。

「しっかり掃除するのよ。夜までに終わらないと、キャンプになるわよ」
妻のゲキが飛びます。

家族みんなで、大掃除へGO

到着するやいなや、家族総出での大掃除がはじまりました。
まずは2階から。2階には、主寝室、二段ベッド×2が残されたゲストルーム、そして小さな書斎サイズの小部屋の3部屋があります。

前回も紹介した通り、小部屋には、スキーや山登りグッズ、さらに自転車など、ありとあらゆるモノが詰まっていました。

「ここに、いらないモノをいったん全部入れていこう」

妻の指示のもと、他の部屋にある不要なモノをどんどんその小部屋に放り込んでいきます。
主寝室に残されていたベッドは、シーツ類などを捨てて、再利用することにしました。

クローゼットの中には、タオルや石鹸類など、お中元・お歳暮でもらったと思われる、ボックスに入ったままの新古品がたくさんありました。使えそうなものだけピックアップしていきます。
本も山のように出てきました。古本屋に売ったらいい値段になりそうなハードカバーの近代文学の数々でした。

寝室をピカピカにしたら、近所の温泉に入りに行き、持参した卓上IHコンロで簡単なご飯を。信州の地物野菜はあまり手を加えなくてもおいしい!

その夜は家族で初めて、別荘にステイです。
静かな森の中は気持ちよく、朝までぐっすり眠ることができました。

ゴン太とは、ふだん自宅では一緒に寝ていないのですが、別荘は特別です。
ここでだけは、同じベッドで眠ってもいい、というルールにしました。

不用品回収業者との交渉術

翌日は、朝から1階の不用品を片付け。
1階はリビング・ダイニングと、お風呂・洗面所。洗面所にはほとんどモノはありませんでしたが、キッチンに夥しい数の調理器具、食器が残されていました。持参した段ボールにどんどん詰め込んでいきます。 中には「これステキ」という陶器もあったりして、宝探し気分も楽しいものです。

さて、午後一番で、妻が手配していた不用品回収業者のトラックがお昼頃にやってきました。
一通り見て、「15万円」という見積もりです。
高いか安いかわかりません。しかし自分たちではどうしようもない量だと思ったので、言い値を払おうとすると、妻が交渉をはじめました。トラックへの詰め込みを手伝うから、5万円にしろと言うのです。1/3…。私にはとても言えないことです。

結局、8万円で話をつけて、現金で支払い、その日のうちに回収が始まりました。
業者の若者が2人、私と息子とで、どんどん荷物をトラックへ運びます。
「この布団とシーツはすごいですね!」と業者の方もびっくりです。
階段で運ぶのも大変になり、2階の窓から布団類はどんどん投げ捨てていきました。

廃品回収のお兄さんの悲しそうな横顔…

夕方、ちょっとしたトラブルが起きました。
目の前の道路と、熊笹が生茂る庭の間とには、蓋のない溝があります。そのため、トラックははじめ道路に横付けされていました。庭に落とした布団類を運ぶのは大変なので、トラックを庭に入れたいということになり、溝に板を渡して、バックで入ったのですが…
それまで詰め込んだ荷物が重すぎたのか、板が割れて、前輪が側溝に嵌まり込んでしまったのです。
側溝に布団を入れてみたり、みんなで押してみたり、いろいろと策を講じてみましたが、トラックは動かず、結局JAFを呼ぶことに…。

帰り際の業者のお兄さんの、悲しそうな顔が忘れられません。
値切られた上にJAFを使用したのですから、あまりもうけにはならなかったのでしょう。
廃品回収の相場が私にはわからないのですが、あの横顔が物語っていた気がします。

とにかく、ひと通り、前々オーナーが残した思い出の品々を処分することができました。それでもやはり、古い家です。次から次へと、問題が出て来るのでした…。

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