大平一枝

大平一枝

エッセイスト。1964年生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポタージュ、失いたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆。著書に『東京の台所』、『そこに定食屋があるかぎり』、『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』、『人生フルーツサンド』、『注文に時間がかかるカフェ』ほか多数。

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『家庭と仕事の重さ』

2010-04-04
長男13歳、長女10歳

 子どもがいるので土日は基本的に仕事を入れないようにしているが、取材の依頼が来た。
 娘のサッカーの、一年でいちばん大事な試合が入っている。悩んだ結果、「わたくし事ですがじつは」と事情をうちあけた。そのような理由で少し遅れてならお引き受けできるがいかがでしょうか、と。“子どもの試合ごときで”と赤の他人様なら思うに違いないと内心ヒヤヒヤしながらの告白だった。
 すると、「大丈夫です」とのこと。
 厚意に甘え、遅れて駆けつけた現場でご一緒したカメラマンが、帰りの車内でつぶやいた。

「僕、4人子どもがいてひとりで育てたんです。だからPTAも学童クラブもサッカーの試合の大事さも、全部よくわかります」

 アフガンに毎年赴いている戦場ジャーナリストで、「あさってから北朝鮮に行きます。末っ子はもう高校生なのでかなりラクチンすよ」と明るく笑った。世の中にはいろんな働くお父さんやお母さんがいるんだなぁと思った。
 今日の現場は、編集者もカメラマンも男性だった。少し前の私の仕事場では、こんな理由は口に出せなかったし、話題にも出せなかった。時代は少しずつ変化している。
 この人たちに恥じない原稿を書こう、大平に頼んで良かったと思ってもらうように精一杯仕事をしようと心の中で誓った。

平日の朝食が慌ただしくひどい状態だったので、免罪符のように土日のブランチだけ張り切っていた。狭い庭で、テーブルコーデに奮闘の図

取材現場で感じる、生活意識の差

 上の日記は16年前の話なので、時代的に育児界隈は2周も3周もしていて、今は逆にこんな理由は言い出さないかもしれない。もっとビジネスライクに、理由は述べず「少し遅れての参加は可能か」と聞くような気がする。休日に家庭の事情を優先するのは個々の自由であり、また、わざわざそう言わなくても「家庭の生活も、仕事と同様に大事にする」という概念は、多くの人の共通認識になっているからだ。

 だが当時は、とりわけフリーランスの身としては、勇気のいる相談だった。
 ちなみに、すでに引き受けた仕事なら、もちろんのこと今も昔も論外である。ある女優さんが、肉親を亡くした翌日に演劇の仕事が入っていて、たいへん苦しかったが、迷惑をかけたくない一心で周囲にはなにも言わず、必死の思いで現場に行くと、プロデューサーがいなかった。子どもの運動会で休み、とのことで落胆したと、なにかで書いておられた。とてもよくわかる話で、これは働きかたの話ではない。仕事に対する倫理観の話だ。事前に知らされていたならば、彼女も迷いなく休みを申告していたはず。私もそのエッセイを読みながら一緒に憤慨したものだ。

 話がそれた。
 子育てをしていた頃、仕事の現場で、PTAや学童クラブやサッカーの試合の大事さを理解してくれる人は、私の周りではほとんどいなかった。男性に限ってはひとりもいない。いや私自身も「話しても、どうせわかってもらえない」と決め込み、言い出していなかったかもしれない。せっぱつまった現場に、そういう家庭の事情を言い出せる雰囲気はなかった。

 その後まもなく、PTA活動を積極的に楽しむ父親や、育休を取る男性が増え、みるみる時代の空気は変わっていった。
 ライフワークとしている『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w)という連載ルポの取材でも、若い男性たちが育児や家事を夫婦イーブンに捉えている様子が肌感覚でわかる。平等に、と意識せずとも、あたりまえに助け合う。料理はできるほうがする。
 男性のほうが料理好きで、すべて担当というカップルもいる。あいにく個人の意識と、会社の意識にズレがあり、早く帰りたくても帰れない人が一定数いるところだけが、かつてと変わらない。

 男性の育児・家事シェアの意識、働く母親への理解、暮らしを円滑に営むことは仕事で頑張ることと同じくらい大切である、という価値観。これらの浸透や広まり方は、かつてを知る私には驚くほど速い。「まだまだ」を3回繰り返したいくらい世の中は完全なイーブンにはなっていないけれども、「進んでいる」ことは素直に喜びたい。

 日記を読み返して学んだことがある。
 世の中には想像も及ばぬ事情を抱えながら、日々の子育てと仕事に向き合っている人がいる。自分だけのものさしだけで、ものごとを断じてはいけない。
 毎日が分刻みで浅い呼吸で生きていたかつての自分に、「あなたはそこまで考えながら書いていたか。人を取材していたか」と問うてみたい。
 今からでも遅くはない。歳を重ねた分だけ、ものさしもいくらか広がっているはずだ。
 あのカメラマンのお父さんも、お孫さんがいる頃だろうか。気持ちを軽くしてもらった御礼を言いそびれたままでいる。

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