大平一枝

大平一枝

エッセイスト。1964年生まれ。市井の生活者を独自の目線で描くルポタージュ、失いたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆。著書に『東京の台所』、『そこに定食屋があるかぎり』、『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』、『人生フルーツサンド』、『注文に時間がかかるカフェ』ほか多数。

https://www.kurashi-no-gara.com/

『めざましがわり』

2011-09-05
長男16歳、長女12歳

 新学期。
「階段を上がる俺の足音で起きるの、やめてくれる?」と息子に言われた。
 親って、子どもが起きる前に起きるもんじゃねーの?子どもが起きたら味噌汁のいい匂いとかがするもんじゃねーの、とまで。
 人それぞれです。決まりはありません。

半地下付きの賃貸戸建て。2階がリビングでゴーヤカーテンを育てていた

朝の密告

 現在は一児の父である息子が、高校1年の頃。
 私は引っ越し好きで、このときは3階建てに入居して半年ほど経っていた。1階は半地下になっており息子の部屋に、夫婦の部屋は3階にあった。

 ところが地下は湿気がひどく、衣類を収納できない。家に唯一のウォークインクローゼットは、私たちの部屋に直結している。
 これが布団部屋のような空間で、壁3面にハンガーラックがぐるりと備え付けられている。大家は設計士とのことで、収納が豊富な家だった。4年の期限付きで、なんとか安く借りることができた。

 クローゼットにはスーツケースから雛人形、ボールやバットまで家族皆が何でも放り込んでいた。息子の制服も含めて、衣類はすべてここだ。
 そのため、彼は毎朝、制服を取りに地下から3階の私の部屋まで上がってくる。1分でも長く寝ていたい私は、息子の階段の足音で目を覚まし、ドアを開けられる0コンマ5秒くらい前に布団から飛び出す。

 それが毎日のルーティンだった。で、上段の日記の息子のつぶやきにつながるのである。俺の足音を目覚まし時計がわりにしてくれるな、と。

 親はこうすべきもの、ましてや「母親」は家族全員が起きる前に味噌汁や朝食の用意をするものなどと信じて疑わないような人間になっては困るので、無視した。
 本人の前ではその態度で通したが、内心、毎朝息子の足音で起きるのが後ろ暗くはあった。

 じつは私にも、こんな古い記憶がある。
 中学生のある日、父に密告した。
「お母さんが、毎朝コーヒー牛乳とトーストと卵焼きを作ったら寝ちゃうんだよ」
 前夜に絞った台拭きが凍っているような長野の寒い冬の朝。早朝の部活で登校しなければならない私のために、母は部屋を温め、上記の朝食を用意し終えると「じゃあいってらっしゃい」と寝室に消えていった。
 10分でできる朝食であっても、バランスが取れている。ちゃんとおいしい。そのうえ目玉焼きより手間のかかる卵焼きで、3品とも私の好物だ。
 それなのに私はこっそり父に、「もっと朝ごはんを工夫してほしい。ひとりで家を出てくのはやだ」と、意地悪く耳打ちしたのだ。
 この頃、父の起床時間は私より遅かったと思う。育児と家事はすべて母のワンオペであることに、私も疑問を持っていなかった。そういえば私が中学に入ってから、母もパートを始めていた。

 父は「もっとちゃんと作って見送ってやれ」と母に注意をした。私は内心、してやったりと思った。

 あの日にかえって、母に謝りたい。
 起きた時に部屋が温かかったり、保温ポットを押せばいつでもお湯が出てきたり、体操着がいつも清潔だったり、トイレがきれいなのは当たり前ではない。

 だれかがやれば、やらずにすむ人が出る。そして、我が家でやるのは母ひとりだった。

 親になって初めてわかることはたくさんある。朝、少しでも長く寝ていたいのは親も同じだ。私はかつて、自分の息子以上に“親とはこういうもの”と型にはめていた。

 3階建ての家は4年足らずで越した。息子の足音で起きる癖は最後まで直らなかった。それもどうかと思う。人として。

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