暮らしの取捨選択、今回お話を伺ったのは河尻晋介さん。海外ブランドの輸入販売、マーケティングやPRなどを請け負う会社「ALMOST INC」を立ち上げ、代表を務めています。河尻さんの暮らしの軸は、自然に合わせて生きること。神奈川県の湘南エリアに建てた自邸へのこだわりとともに、「必要なこと」「手放したもの」について教えていただきました。

HOUSTO 編集部

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白馬に移住するほど夢中になったスノーボード。カレンダーに囚われない生き方を20代から実践してきました

大阪に生まれ、高校時代まで奈良県で過ごした河尻さん。野球少年だった河尻さんの人生は、19歳のときにスノーボードと出合ったことで大きく方向転換しました。

「高校卒業後、アメリカ映画に夢中になり、アメリカンカルチャーに大きな影響を受けました。ファッション、スポーツ、さまざまな文化を吸収する中で、特にハマったのはスノーボード。大学を中退し、白馬に移り住むほどにのめり込んでいったのです」

同級生が就職し、サラリーマン生活を始めるのを横目に、河尻さんはスノーボードありき、雪山ありきの生活。自然が相手だから、人間が決めたスケジュールやルールは通用しません。

「雪山は特に天気に左右されやすい。予定をガチガチに決めすぎず、流れに任せて働く・遊ぶという私のスタイルはこの時代につくられたと思います。今もずっと変わりません。天気予報は今でも毎日欠かさずチェックしています」

変則的な働き方が自分らしい。それに気づけたのは、会社員として過ごした20年があったからこそ

河尻さんが心掛けているのは、自分に心に正直でいることです。遊びたいときは遊ぶ、がんばらなくてもいいときは無理しない。これは河尻さんの働き方にも深く関わっています。

フリースタイルスノーボーダーとして活躍しのち、アウトドアブランド「パタゴニア」に就職したのは30歳目前でした。

「一般社会のルールもパソコンの扱い方も知らず、自然の中でずっと過ごしてきた人間です。右も左も分からない私を採用してくれたパタゴニアには、非常に感謝しています」

同社を退職後は、スノーボードウェアブランドやアイウェアブランドなどのマーケティング・ブランディングを手がけ、会社員として働いたのは20年ほど。その後、会社を自ら立ち上げます。

「若い頃から自由に生きてきた時間が長かったせいか、毎日決まった時刻に通勤するなど縛りの多い会社員生活に息が詰まるようになってきたんです。もちろん手を抜いていたわけではないし、責任ある仕事を任されるのは嫌いではありません。でもその仕事にかける時間や能力、責任を自分自身にかけて自由に挑戦したいと思うようにもなりました」

通勤電車に揺られながら、自分が自分らしくなくなっていくことが分かる。がんばって無理している自分をとにかく解放させてあげたかった、と河尻さんは振り返ります。

「私には変則的な働き方が合っています。だから、これからは自分にもっと正直になろうと決めました。ただし、会社員として過ごした20年は絶対に必要だった時間。人に助けられて生きていることを実感した時間でもありました。手を差し伸べてくれた人たちのおかげで、今の私があるのは間違いありません。会社員時代がなければ、どうしようもない人間になっていたはずです」

河尻さんにとって、「自由」は好きでもあり嫌いな言葉。

「私は自由が大好きだけれども、それは自分自身に規制をかけてこそ得られるものだと思っています。履き違える自由ほどカッコ悪いものはありません。がんばらない、組織に従わないというのではなく、自分にかかる責任と結果を含めて丸ごと自由を背負いたいということです」

エネルギーを享受する雪山。気持ちを開放する海。どちらも楽しみバランスを取っています

現在の河尻さんは、1年を通して担当ブランドのプロモーションや撮影で全国を飛び回る日々。特にスノーシーズンはゲレンデでの撮影が多いため、ほぼ雪国で過ごしています。

「雪山は時として悪天候、雪崩のリスクが隣り合わせ。緊張感があり、受けるエネルギーも強大です。仕事でも訪れる機会が多いからか、プライベートの住まいは海の近くがいい。そうやって自分の中でバランスを取っている気がします。自分にとって海は気持ちがスーッと抜ける場所。内側に溜め込んだエネルギーを海で解き放ち、英気を養ったらまた雪山に行きたいと思えるから不思議ですね」

19歳で白馬に移り住んで以降、アメリカ、ニュージーランド、国内では北海道や東北地方と雪山を求めて住まいを転々とする生活だった河尻さん。1カ所に定住するよりさまざまな土地で暮らすほうが性に合っていると言いますが、湘南生活はもう16年。8年前には一軒家を建てました。

「湘南は東京へのアクセスがよく、目の前の海でサーフィンも楽しめます。賃貸からリノベマンション、そしてこの戸建てとエリア内で転居してきました。戸建ては分譲で、「エンジョイワークス」が手がけるスケルトンハウス(構造は工務店に任せ、間取りや内装を自由に決められる家)。それまで所有していたリノベマンションから転居した理由は、戸建てのほうがより自由だから。間取りをフレキシブルに考えたいという希望があったんです」

アメリカの「エースホテル」がイメージソース。ラフさを残しながらも、細部のクオリティにはこだわりました

河尻さんの家は、日本の一般的な間取りとは程遠く、廊下や扉つきクローゼットはなし。日当たりを重視してリビングは2階を選び、ウッドデッキも設置しました。リビングの奥に設けた小上がりスペースは、畳を敷いて和室にする人が多いかもしれませんが、河尻さんはあえて青いカーペットを選んでいます。

小上がりは、友人が泊まりに来る際の客間として活用。下は収納スペース。リビングダイニングのものはここに集約して収めることで、圧迫感のない空間に仕上がっている

内装は、アメリカ発の「エースホテル」をインスピレーション源に。「仕事で訪れた経験があり、大好きなホテル。友人の家に遊びに行ったかのようなラフな感じなのに、家具やファブリックなど細部までこだわり、クオリティの高さにも妥協しないところが気に入っています。小上がりの青いカーペット、窓枠のデザインは特にエースホテルをイメージした部分です」

テレビボードのステレオスピーカーは2,000円ほどで購入したジャンク品。音は鳴らないものの、インテリアとして抜群の存在感。「流行を追うよりクラシックで質の高いものを好む感覚も、海外に住んでいた20代で養われた気がします」

わがままに生きてきたから、最後まで貫きたい。お金も使い切ろうと考えています

このこだわりの家が終の住処かと問われると、「答えはまだ分からない」と河尻さん。

「家もエリアも気に入っているし、一本筋を通してここに骨を埋めるという生き方に憧れがあるのも事実。でも住みたい場所は常に探しています。人との出会いや縁に助けられてここまでやってきたので、次のご縁があって自分の中でスイッチが入れば、すぐ動き出すかもしれません」

次に家を建てるなら、平屋。河尻さんはそう決めています。

「オールドアメリカンな平屋には未だ憧れを持っています。50歳を過ぎて残りの人生を意識し始めたら、『やりたいと思うことをこのままやり続けよう』という思いが強くなってきました。今までわがままに生きてきたからこのまま行こう、と。お金だって、残しておいても仕方がない。自分のために使い切ろうと思っています。海のそばか、山の中か。具体的にはまだ思い描けていませんが、最後は絶景の中で暮らしてみたいですね」

河尻さんの暮らしの工夫

住みながらDIYでアップデート。下地はあらかじめ仕込んでおく

暮らしは住みながらアップデートしていくもの。棚やフックは、実際に入居してから「ここにあると便利」と思う場所にDIYで設置しています。家の外には、サーフボードを立てかけておくコーナーを大工の友人と自作。室内も、リビングの壁やバスルームなど「後から何かつけたくなるだろうな」と思う壁には下地を仕込んでおきました。下地さえ入れておけば、後からどうにでもなります。

玄関は可動棚でショールーム風にディスプレイ

玄関は、プロサーファーの器用な友人とともにOSB合板(構造用下地材)を両側の壁に打ちつけて収納棚とフックをつけました。靴や工具を並べているほか、自社で取り扱っているサングラスなどの商材を飾っています。棚板を増やしたり、動かしたりできることが可動棚の魅力。でも棚が増えるとついものを置きたくなってしまうので、あえて増やさないよう気をつけています。

今回教えてもらったのは……

  • 河尻晋介さん
    フリースタイルスノーボーダーとして活躍し、現在は株式会社オールモスト代表。アメリカ・カリフォルニア発アイウェアブランド「NOTHING & COMPANY」、テキスタイルブランド「SUNDREAM」などの輸入・販売を手掛けるほか、さまざまなブランドのブランディングやプロモーション、PRに携わる。

    https://www.instagram.com/shin_kawajiri/

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